エッセイ

2009年11月19日 (木)

子供の信仰を捨てる

♪イエスさまを信じれば天国へ行ける!

わたしはこのような子供賛美歌をキャンプで歌ったことがある。単純明快である。わたしたちはこのような子供のような信仰をいつまでも持つべきである。

と同時に子供のような信仰を捨てることも必要である。それは「わたしが何をしても主は怒られることはない」という信仰である。

それは自分中心に神様を考える信仰である。基準はあくまで "わたし"。わたしがよいと考えることがよいことであり、わたしが悪いと思うことが悪いことである。

このような信仰が土台にあると御言葉の解釈もねじ曲がる。「わたしの信仰の土台は御言葉」と熱く語る信徒がしばしば兄弟の言葉に一切耳を貸さず自己中心的で独りよがりの信仰を貫いてしまうことがある。

それは「信仰」に名を借りた偶像礼拝である。この場合の偶像は自分自身である。自ら聖書の知識と奥義に通じているものと自称し、「使徒」「神の預言者」を自認する。

わたしの小学1年の担任はS先生であった。その先生のお気に入りはY子ちゃんだった。森昌子のように短めの髪をしたY子ちゃんは先生にかわいがられた。S先生は、Y子ちゃんの前で森昌子の「先生」を歌い踊っておどけた。

先生の彼女への待遇は恵みであった。しかし、彼女はそれを当然のこととして先生を先生として扱わなくなっていった。つまり先生の優しさに慣れてしまったのである。

小学4年のとき、S先生は再び担任になった。Y子ちゃんは先生にひどく馴れ馴れしい態度で接したが、先生はそのような軽率な態度を怒り、ついには彼女を疎んぜられるようになってしまった。

わたしたちは恵みの中にいるとき、神さまが神さまであられること、つまり自分を支配しておられるを忘れてしまうことがある。そのようなとき、主は審判と滅亡の霊をもってわたしたちを罰し、それによって霊魂の治療をされるであろう。

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