夕食後、午後7時30分から幸田バプテスト教会(幸田町菱池錦田73-1 電話0564-62-3403)の祈祷会に出席しました。
メッセージは今井勝利牧師が取り次がれました。テーマは罪に定められることはない。聖句はロマ8章から。
ロマ書6章から8章までのテーマはひと言で言えば、聖化です。義と認められた者の歩みであり、その中でも大雑把に3つに分けられます。
6章から7章前半は、義と認められた者の解放を、7章後半は、義と認められた者の戦いを、8章は、義と認められた者の勝利を、それぞれ語っていると思います。
こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。(ロマ8:1)
7章後半では、「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」(ロマ7:24)とまで絶望した信仰者は、すぐその後で「罪に定められることがない」(ロマ8:1)と、いわば勝利宣言をしています。
なぜキリスト者は決して罪に定められることがないと言えるのでしょうか。今日は3つの点からお話しします。
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。(ロマ8:2)
1つめは、罪と死の支配から自由にされたからです。法則と訳されているνομοs(ノモス)は、律法と同じギリシャ語が使用されています。元々の意味は、働き、規則正しさ、秩序、原理、支配する力です。
ここでは法律というより、「働き」という意味で、何かが支配している様子を表していると考えると分かりやすいと思います。
つまり、生まれながらの人は、罪と死の支配や秩序、パターンから抜け出すことができない、罪を犯した人は死ぬという法則から解放されないけれども、命と御霊の法則はそこから解放したということです。
人は、必ず死に至り、そこから戻ることはありませんが、キリスト者だけは死から解放されるのです。解放と自由がキリスト者に与えられているのです。
相手が自分よりも遥かに強い敵であるとき、わたしたちは敗北します。しかし、その相手方の敵よりもさらに強い味方が現れるなら、わたしたちはその味方によって勝つことができます。
同じようにわたしたちが罪と戦えば必ず敗北します。しかし、御霊に戦いを任せるならば、そこに勝利があるのです。
敗北、罪悪感の中で、わたしたちは何と多く悩み、悲しむことでしょうか。しかし罪に対する悔い改めをするならば、御霊による勝利が用意されているのです。
律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。(ロマ8:3)
2つめは、キリストにおいて、罪が処罰されたからです。
「律法が肉により無力になっている」とは、神さまを離れて罪深くなった様子を語っています。
では「律法が・・なし得なかった事」とは何でしょう。それは、人を赦すことです。神の怒り、滅びから救うことができないのです。律法は人に罪の自覚を持たせることができても、人を清める力はないのです。
人の肉の故に律法を守ることができない。とここで終わるならば、わたしたちには希望がありません。
しかし、この節の後半にあるように、主は、①御子を遣わされ、②肉において罪を罰せられたのです。
「罪の肉の様で」とあるのは、人と同じ肉体の性質を持って生まれられたが、罪を持たない性質でという意味が込められています。
では、「肉において罪を罰せられた」とは何でしょう。それは、わたしたちの肉体に刑が執行されなければいけない処罰について、イエスが十字架上でご自身の肉体をもって背負ってくださったことを表しています。
パウロはこの信仰の出発点を再確認しようと促しているようです。
あなたがたの出発点は何か。信仰者は十字架を忘れてはいけません。神さまの大きな犠牲をわたしたちは決して忘れていけないのです。
これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。(ロマ8:4)
3つめは、御霊に従うなら清い歩みができるからです。
律法は、神さまの教えを守り、清く生きることを要求しています。しかし、それは完全に守らなければ律法全体を犯すことになる(ヤコ2:10)という厳しいものです。律法は人に完全を要求しているのです。
しかし、驚くことにわたしたちが御霊によって歩むならば、律法全体の要求を満たすとこの箇所は語っているのです。
律法は神さまから出ています。しかし肉の体ではその要求に応じることはできません。神さまはそのこともよくご存じです。わたしたちは自分では何一つなしえないことを学び、神さまに助けを求めるプロセスを体験する必要があるのです。
自分の非力さ、無力さ、そして主にだけより頼み、神の道具に変えられていく、その時にわたしたちは清く生きることができ、律法を全うできるのです。
罪と戦い、霊的な戦いの中で、御霊に従って満たされて歩もうではありませんか。
このような内容でした~