日曜礼拝:ゲスト

2009年4月19日 (日)

主にある夢を持つ~4/19聖日礼拝

今日は聖日礼拝の日。礼拝後の愛餐会はわたしたち夫婦の担当でしたので、早めに家を出準備をしました。

20090419w 礼拝のメッセージは、スウェーデンからのゲスト、インマヌエル・ロセーエン先生が取り次がれました。テーマは主にある夢を持つ。聖句は詩篇139篇から。

今日は夢について語りたいと思います。神さまには街のために、1人ひとりのためにビジョンを持っておられます。

あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。(詩139:16)

あなたの夢は小さいかも知れないから大きな影響があるのです。主はわたしたちに夢を持って欲しいと考えているのです。

わたしが日本に来た理由をお話ししましょう。

宣教師の息子として日本で生まれ育ったわたしは、10年前にスウェーデンに帰った後、日本人への愛と伝道の夢が与えられました。

それは最初は具体化していませんでしたが、音楽を通して福音を宣べ伝えるビジョンへと発展しました。

今は賛同してくれる仲間も与えられました。日本でもCDを10枚ほど出して成功しているロック・グループです。そのロックですが、歌詞は福音です。来年にはスウェーデン・バンドを連ねて日本に福音音楽伝道をしたいと思っています。

このような内容でした~

先生はメッセージの終わりにギターを持って賛美を歌って下さいました。

♪ God is faithful. I can't find any words to describe you. How wonderful you are!

♪ 神さまは誠実なお方。わたしはあなたを表現する適切な言葉を探し出せない。あなたは何と素晴らしいお方でしょう!

20090419l 礼拝後は恒例の愛餐会でした。わたしたち夫婦の担当です。今日のメニューはジャジャうどん。デザートのフルーツはハッサク

20090419l1 インマヌエル先生は、奥さんのアレキサンドラさんと娘のルボちゃんを連れてきました。ルボは日本語に訳せば「愛」だそうです。

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2009年3月29日 (日)

信仰によって働かれる主~3/29日曜礼拝

20090329g 今日は日曜礼拝の日。証しの時間に聖書無料頒布で有名なギデオン協会から中田先生と加藤先生が協会の働きについてのお話しと証しをされました。

20090329w 礼拝のメッセージは、ミャンマーで宣教の活躍をされている Touching Asia のメンバー、ホーガン・ガブリエルソン先生が取り次がれました。テーマは信仰によって働かれる主

主はわたしたちが悪と考えることでさえも善に変えて下さるお方です。

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。(ロマ8:28)

今の世界的な不況は、わたしはむしろチャンスだと思います。先進国では資本と物質に頼る生活をしてきました。それがいかに脆いかを知る機会となると思います。

ミャンマーでは昨年、悲惨なサイクロンが通過して80万人以上もの犠牲者が出ました。現在でもそれが何人なのか正確な人数が分かっていないほどです。これまでの最大規模の災害でした。

しかしそのような悲惨な災害を通して主は働いておられるのです。キリストに導かれる人たちが急上昇しているのです。教会は廊下や外まで人が溢れ、御言葉への熱意が高まっています。

いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている。それは、ご自身の栄光と徳とによって、わたしたちを召されたかたを知る知識によるのである。(2ペテ1:3)

「召されたかたを知る知識」。この中で語られている知る知識とは、よく知る、完全に知る、親しく知るという意味です。それは命と魂に関わる知識です。神学的な知識ではありません。

わたしは1週間前の土曜日に階段で足をくじく事故を起こしました。病院に行ってみてもらったら骨が折れているということでした。わたしは1日ベッドに横たわりうめいていましたが、ふと、聖句が私に与えられました。

正しい者には災が多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。主は彼の骨をことごとく守られる。その一つだに折られることはない。(詩34:19~20)

愚痴や不平に変えて、主を賛美し、その愛をほめたたえました。そしてイエスの名によって癒されるよう祈りました。その後、痛みは消え失せ、今もありません。癒されたのです。

しばしばわたしは神さまの思いよりも自分の思いを優先させてしまいます。ビジョンを与えられる前に動いてしまう。そうではなく神さまからのビジョンを見出し働くことが大事です。

イラン、タイ、ネパールでは多くの子どもたちが50ドルにも満たないお金でその親によって売られています。彼らは売春や工場の強制労働に連れて行かれます。わたしは主の求めを聞いた思いでした。どうにかして応えていかなければいけない。

人間の体には心臓もあれば、盲腸もあります。わたしたちはできるならば心臓になるよう望むべきです。役に立たない器官でなく、人々に生命を注ぎ込む器官です3年間歩けなかった人が歩き、眼が見えなかった人が見えるようになり、耳の聞こえなかった人が聞こえるようになる。そのような神の奇跡の中に働きたいのです。

ミャンマーでは500人だった教会が1万人規模になっています。イランでは3年前、全国に2~3000人しかいなかったクリスチャン人口が100万人に膨れあがっています。

祈り続き、福音を宣べ伝え続けましょう。

このような内容でした~

礼拝後、愛餐会がありましたので、参加しました。今日は Br. Akao さんの担当でした。つくね団子の里芋汁。出汁がよく出ていておいしかったです~

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2008年12月21日 (日)

クリスマスのギフト~12/21日曜礼拝

今日は日曜礼拝の日。わたしたちはお昼の担当でしたので、早めに家を出ました。

20081221w 礼拝の中で、金城学院大学OGのリリオンハンドベル・クワイアによるクリスマスソングの演奏があり、聞き惚れました~♪

メッセージは主任宣教師が取り次がれました。聖句はマタイ2章から。テーマはクリスマスのギフト

クリスマスはイエスさまのご誕生をお祝いする日です。わたしたちは亡くなった人をお祝いしません。主は今も生きておられるから誕生日をお祝いするのです。

羊飼いは最初にイエスさまのご誕生を知らされた人たちでした。彼らは当時下層階級の人たちでした。今で言うなら名古屋の100m道路下でブルーシートで生活している人たちに天使たちが現れたようなものです。

クリスマスの贈り物のひとつは喜びです。

英語なら、Laugh ではなくて Joy です。過ぎ去ってしまう喜びでなく、忘れることのできない喜び。心の奥底からわき上がる喜びです。

わたしの父、マグ先生はいつも喜びがありました。彼は日頃「イエスさまを信じて以来一度も後悔したことはありません。人生の最大の出会いはイエスさまとの出会いでした。」とよく言っていました。

キリスト教は宗教ではありません。哲学ではありません。方法論でもありません。生けるイエスさまとの出会い、そしてそのイエスさまがわたしの内に住んで下さるという経験をすることです。

クリスマスの贈り物のひとつは平和です。

神の平和は正しい関係から生まれます。それが隣人との正しい関係にもつながるのです。

東方の博士たちは黄金、没薬、乳香を持参しました。黄金は神の変わらない性格を象徴していて、それはイエスさまの栄光を現しています。没薬は王の葬儀のために体に塗布するもので、イエスさまの十字架の死を予表しています。乳香は神さまにとって良き香り、すなわちイエスさまの祈りを現しています。

クリスマスの贈り物の最大のものは愛です。

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハ3:16)

どんな過去があってもイエスさまはわたしたちを救ってくださいます。わたしたちは死んで終わるのではありません。主はわたしたちを命への結びつけてくださるのです。

このような内容でした~

礼拝後、愛餐会がありました。今日の料理は豚バラとゴボウのうどん。残念ながら写真を忘れてしまいました (^^;)

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2008年10月19日 (日)

Zawameki の賛美~10/19日曜礼拝

20081019w 今日は日曜礼拝の日。新城教会生まれの賛美チーム Zawameki が特別賛美礼拝をされました。メッセージは賛美の中で滝本開先生が取り次がれました。テーマは賛美の中に住まわれる主。聖句は第2歴代志20章から。

彼はまた民と相談して人々を任命し、聖なる飾りを着けて軍勢の前に進ませ、主に向かって歌をうたい、かつさんびさせ、「主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と言わせた。そして彼らが歌をうたい、さんびし始めた時、主は伏兵を設け、かのユダに攻めてきたアンモン、モアブ、セイル山の人々に向かわせられたので、彼らは打ち敗られた。(歴下20:21~22)

主は賛美の中に住まわれると書いてあるとおり、賛美は絶大な力を持っています。この聖句はヨシャパテ王が敵に向かうために主に伺いを立てたときに、主は「この戦いには、あなたがたは戦うに及ばない。」と応えられました。

そこで王がしたことは、主への賛美でした。

わたしたちの賛美も今も生きて働いておられる主をほめたたえることから始まっています。ストリートライブや刑務所での賛美を通して主は確かに働いておられる現場を幾度と無く体験しました。

街角でも刑務所でも主への賛美によって頑なな心が開かれ、涙する者が多くいます。今も主は生きて働いておられます。

このような内容でした~

20081019l 礼拝後の愛餐会はハヤシライスパンプキンスープ。Zawameki のメンバーも参加して賑やかな午餐になりました。

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2008年9月21日 (日)

イエスさまの十字架~9/21日曜礼拝

20080921w 今日は日曜礼拝の日。メッセージはゴスペル音楽院・学長のジョシュア佐佐木先生が取り次がれました。テーマはイエスさまの十字架。聖句はマタイ11章から。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。(マタ11:28)

この聖句は教会の門の9割以上に掲げられている聖句ではないでしょうか。

休ませると書いてあるこの言葉の原語には緊張して張りつめている線をゆるめるという意味があるそうです。

わたしたちは、人間関係における苦しみ、悲しみ、恐れにストレスで張りつめています。またこの世は焦燥感、虚栄心で満ちています。

罪と愛、それは教会の専売特許のような言葉です。

罪と言われたとき、わたしは最初その意味が分かりませんでした。わたしは多くの暴走族を束ねる総長でした。ですから「あなたは罪人だ」と宣教師から言われたとき自然にそれを受けいれることができました。

しかし本当の罪とは神さまの方向を向いていないこと、的はずれな生き方をしていることだと気付いたとき、それはわたしにとって深い意味を持ちました。

アダムとエバは善悪の知識の実を食べた後、悪がこの世に入り込み、彼らは善悪のない状態から善と悪を常に選び取って生きなければいけない状態に置かれました。

会社のためにしたことが実は犯罪行為であり、その会社を潰すことになってしまった例をわたしたちはよく新聞で読みます。

わたしたちが本当の意味で神さまの方に向きを変え、方向転換をしなければ罪からの解放はないのです。

イエスが十字架にかけられたのは、まさにそのことをわたしたちのためにもたらすためでした。人々に肉が裂けるほどにムチを打たれ、100キロはある十字架を背負わされ、茨の冠で頭は血だらけ。

この失敗と思われる歴史を通して主はわたしたちの罪の代価をすべて支払われ、わたしたちを再び神の側に立つことができるように道筋を付けてくださったのです。

神さまの愛はここに示されたのです。

このような内容でした~

礼拝後、ジョシュア先生を囲んでの愛餐会がありました。今日はちらし寿司お吸い物でした。

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2008年9月14日 (日)

神さまによる変化~9/14日曜礼拝

今日は日曜礼拝の日。証しの時間に国際飢餓対策機構清家さんがクリスチャンとして貧困の中にある人々を助ける活動を報告されました。

20080914w_8 清家さんがカルカッタにあるマザーテレサの「死を待つ人の家」で働いたとき、腕が腫瘍でふくれている人の世話をしたときの話をしてくださいました。彼は最初その絶望的な人を見たときに「関わりを持ちたくない」と思ってしまったそうです。そこで彼は自分の罪の深刻さ、イエスの愛の深さを身にしみて分かったと語ってくれました。

モザンビークでは日本人のクリスチャンは1%にも満たないという話をしたところ、「わたしたちはこれから日本人の半分がクリスチャンになるように祈ります」と言ってくれ、今も熱い祈りを捧げてくれます。

ラオスで、祈りを捧げていたところ、長老に「お前は何をしているのだ?」と聞かれ、「わたしは天地を造られた神に祈りを捧げているのだ」と応えました。長老は「それは大変よいことだ。これからすべての村の行事の前はお前の祈りで始めよう」と言ってくれ、それからその村は劇的に変わりました。

ラオスは社会主義国です。その村の幾人かのクリスチャンが刑務所に連行されましたが、彼らはそれでも喜んでいるのです。

それは彼らが捕らわれていた古くからの言い伝え、たとえば、女は雹が降るから畑にはいるなとか、双子が生まれたら母親の手で殺せとか、そういった霊的なとらわれからキリストが解放されたからです。

クリスチャンの小さな祈りは世界を変える力があります。

このような証しでした~

メッセージは主任宣教師が取り次がれました。テーマは神さまによる変化。聖句はエペソ4章から。

今アメリカ大統領選が始まりました。アメリカのテレビは大統領候補のニュースで持ちきりです。オバマとマケインとどちらがなるのか分かりませんが、オバマの演説には必ずひとつのキーワードがあります。それは Change です。

わたしたちは変化を望みます。わたしが子供の頃はスーパーマンが人気でした。今はトランスフォーマーというキャラクターが人気になっているようです。

自己変革の本はいつもベストセラーです。テレビでは整形や美容の宣伝で溢れています。最近はお腹に振動する機械を取り付けると寝ていても痩せられるというものまで出ているようです。努力しないで変化を求めたいとも思うのがわたしたち人間です。

英語でヒョウは自分の柄を変えることができないという諺がありますが、60歳や70歳になるとわたしたちは変わることすらあきらめてしまいがちです。

わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。(2コリ3:18)

しかし聖書が人は変えられると教えています。御霊の働きによってわたしたちは内からその人格を変えてくださるというのです。神さまと自分との共同作業によって主に造りかえられるのです。

ここで変えられると訳されている原語はμεταμορφοω(メタモーフォー)で、サナギが蝶になる変態を意味しています。

すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。(エペ4:22~24)

クリスチャンになるとこの変化はすぐに始まります。親切、思いやり、愛の心が芽生えていきます。

あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。(1コリ9:24)

オリンピックの水泳の競技は感動的でしたが、金賞を取ったある人は練るか、食べるか、泳ぐかという生活を続けていたそうです。彼らは訓練を必要としていました。わたしたちクリスチャンも同様です。訓練しないでレースに出れば溺れてしまうでしょう。同じように霊的な訓練を受けずに神の国のレースに出れば信仰の破船に出会うだけです。

これらは神さまに仕えていく中で成長していくのです。わたしたちが訓練されるのはわたしたちのためでもあるのです。

このような内容でした~

20080914l_6 礼拝後、愛餐会がありましたので参加しました。これから毎週あります。今日の担当は壮年会。秋刀魚を炭火で焼いて、信州味噌を使ったけんちん汁が振る舞われました。

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2008年8月10日 (日)

栄冠を目指して~8/10日曜礼拝

20080810 今日は日曜礼拝。愛餐会があり昼食の担当はわたしたち夫婦でしたので、早めにいって準備をしました。

メッセージは豊田ホープチャペル山本孝次牧師が取り次がれました。テーマは栄冠を目指して。聖句は第2テモテ4章から。

わたしたちが何に向かって走っているか分からずに走るとすれば大変な問題ではないでしょうか。

わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。(2テモ4:7)

信仰生活には必ず戦いがあります。それは自分の罪との戦いです。神さまに赦されているという安堵感から何度も同じことを繰り返すクリスチャンがいます。しかし、わたしはそのような信徒に対しては「それは聖書には書いてないよ」とはっきり言います。

真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。(2テモ4:4)

牧師というのは辛い職業です。信徒をとにかく天国まで連れて行ってやらないといけない。嫌われることでも最初はやんわりとしかし後の方ではかなりきつい言い方をして諫めます。牧師は信徒に好かれるためにあるのではなく、天国まで道案内をすることが役割だからです。

最近は上司に諫められると両親を連れてきて抗議をする社員がいるそうです。他人には厳しく自分には甘くというのはわたしたちにしばしば見られますが、イエスさまは「兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか(マタ7:3)」と言われました

わたしにも双子の孫が生まれました。しかしもし彼らがいつまでも保育器の中に入っていたらどうでしょう?悲しまないでしょうか?同じようにわたしたちがもし恵みの中にとどまって成長がなければ神さまは嬉しくは思われないでしょう。

御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。(2テモ4:2)

イエスさまが1ミナを地に隠しておいたしもべに対して何と言われたでしょう?「悪い僕よ(マル19:22)」です。わたしたちがもし神さまから与えれた賜物を出し惜しみして神さまのために用いて使わなければ、決してほめられることはないでしょう。

ある人のタレントは料理かも知れません。そのような人は料理を作って近隣の人を招待して、BGMに賛美を流すといいでしょう。「この素敵な曲は何ですか?」と聞かれたら答えてあげることができるでしょう。それは立派な伝道にもなります。

地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。(ヘブル11:13)

わたしたちのこの地上生活は一時的なもの、仮住まいです。自分の思いを注ぎ込んでマイホームを造ってもそれはいつかは滅びます。旅人は余分な荷物を持ちません。もしお金があるなら、天国銀行に預けてください。特別な利率です。30倍、60倍、100倍になるのです。

今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。(2テモ4:8)

わたしたちには必ず報いがあります。ある箇所では命の冠、別な箇所では栄光の冠と書いてあります。わたしたちには栄光が待っているのです。それがわたしたちへの報酬です。

天国を望み見て過ごしましょう。

このような内容でした~

20080810l 礼拝後は、愛餐会。今日の料理は冷やし中華。市販のめんつゆ(2倍稀釈)、米酢、胡麻油を5:3:1の割合で混ぜ合わせて作りました。美味しかったです~

20080810l1 愛餐会は18名が参加。お盆休みにしては結構出席してくれました。お食事と会話を楽しみました。

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2008年7月13日 (日)

世界を支配される神~7/13日曜礼拝

今日は日曜礼拝。メッセージはアジアアウトリーチ吉田隆先生が取り次がれました。テーマは世界を支配される神でした。聖句は詩篇は102篇

20080713 今日はひとつのことだけは覚えてください。それは主は天の御座におられるということです。主はすべての歴史をコントロールしておられるということです。

最近、アジアで多くの天災が続きました。ミャンマーのサイクロン、四川大地震です。ここで多くの人たちが犠牲になり、今もしかばねをさらしたままでいます。

神さまがおられるのならどうしてこのようなことが起きるのか?

わたしたちは未信者からしばしばそのように非難されます。またわたしたちクリスチャンの間でもそのような疑問があるのです。

わたしのよわいは夕暮の日影のようです。わたしは草のようにしおれました。(詩102:11)

この詩篇の作者も自分の目の前の現実に倒れそうになりました。

しかし主よ、あなたはとこしえにみくらに座し、そのみ名はよろず代に及びます。(詩102:11)

ところが彼はそれで終わりませんでした。彼は世界を動かされている神、歴史を支配しておられる神を見上げました。

中国とインドは経済的にも霊的にも無視できない国になっています。

中国には3つの教会があります。ひとつは愛国教会。共産政府の傘下にある教会です。

ふたつめは地下教会家の教会とも呼ばれます。これは政府からの迫害を避けて個人の家や地下の洞窟を利用して集会がもたれているものです。彼らの伝道はシンプルです。村々へ出かけていき、重篤な病人のいる家に行き、イエスの御名によって癒すというものです。

3つめは第3の教会といわれる群れです。これは非公認という意味では第2の教会と同様ですが、第2の教会が農村、漁村といった教育のない人たちの群れなのに対して、この集団はプロフェッショナルなインテリ、専門家、医者などです。

わたしがこの第3の教会の人たちと交わりの時を持ちましたが、プロジェクターを使ってパワーポイントで説明するのです。

ただこの群れは孤立したセルグループの集まりなので、互いにネットワーク化して、正しく導くならば大変な力になるのではと感じています。

中国で1949年に文化革命が起き、宣教師は国外に追放され、群れのリーダーは強制収容所に連れて行かれました。毛沢東の改革の後を継いだのが江青女史をリーダーとしたいわゆる4人組でした。

江青女史は海外の記者から「中国にキリスト教会はありますか」と質問された時、鼻で笑って「教会ですか?それは博物館に行けばあります」と答えました。

今、中国人が「江青女史の残したものはありますか?」と聞かれたら「江青女史ですか?それは昔の人ですね。彼女が残したものは博物館に行けばあります」と答えます。

一時は敗北したように見えた教会。その時、多くの人が「神は死んだ」と感じたでしょう。しかし、「主は天の御座におられる」のです!彼は歴史を完全に支配しておられるのです。

あきらめないで、求め続けましょう。

このような内容でした~

20080713y メッセージの前に吉田先生ご夫妻が賛美とフルート演奏の時を持たれました。プロ並みの演奏でした~

礼拝後、特別愛餐会がありました。今日はドライカレー。野菜サラダ。

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2008年6月 1日 (日)

7つの恵み~6/1日曜礼拝

20080601k 今日は日曜礼拝。カナダの神学校で教鞭を執っておられるキャシー先生が特別参加。証しの時に哀歌3章をもとにお話しをされ感銘を受けました。

メッセージは主任宣教師が取り次がれました。聖句は第1ペテロ1章。テーマは7つの恵みでした。

今日は主がわたしたちに与えてくださる7つの恵みについて、ペテロの手紙から見ていきましょう。

神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて・・(1ペテ1:3)

1つめの望みは新しい生命です。わたしたちはイエスにあって新しいスタート、新しい目標、新しい意味、新しいアイデンティティが与えられるのです。

生ける望みをいだかせ・・(1ペテ1:3)

2つめの恵みは、生ける望みです。主はわたしたち一人ひとりの状況に合わせてわたしたちの必要を満たしてくださいます。日本人は現在1日に100人の方が自殺していると新聞報道されていました。多くの人がイエス・キリストを必要としています。

あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。(1ペテ1:4)

3つめの恵みは資産です。それは天に蓄えられていますので、誰も盗むことができません。わたしたちはその資産のほんの少しをもらっているだけに過ぎないのです。その資産は人間の頭では想像することもできないほどの素晴らしいものなのです。

あなたがたは・・信仰により神の御力に守られているのである。(1ペテ1:5)

4つめの恵みは主による守りです。わたしたちは詩篇にあるようにたとえ死の陰の谷を歩むことがあっても恐れることはありません。そこに主がおられ守ってくださるからです。

あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ・・・(1ペテ1:7)

5つめは朽ちない宝です。クリスチャンであることを告白したがために迫害されることは未だに多くの国であります。しかしクリスチャンは問題が出れば出るほど精錬されて神さまに近いものとなるのです。

イエス・キリストを・・見てはいけないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。(1ペテ1:8)

6つめの恵みは、言葉につくせない、輝きにみちた喜びです。クリスチャンにも苦しみはあります。しかしそれを超えた喜びも与えられるのです。

それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。(1ペテ1:9)

7つめ、最後の恵みは魂の救いです。わたしたちはこの世で終わるのではありません。再び会えるのです。そこにわたしたちの土台があります。

このような内容でした~

礼拝後、キャシー先生も交えて聖餐式とカレーとサラダの愛餐会があり、続けて参加しました。

キャシー先生との会話に引き込まれて時間を忘れて結局5時頃まで教会でお話しを楽しみました。キャシー先生のように柔和で愛あふれるクリスチャンになりたいと思いました~

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2008年4月 6日 (日)

アジアでの奇跡~4/6日曜礼拝

20080406w 今日は日曜礼拝。メッセージは昨日から教会に滞在しておられるホーカン・ガブリエルソン先生が取り次がれました。聖句はエペソ3章から。テーマはアジアでの奇跡についてお話しされました。

日本には美しい風景、穏やかな気候、優しい人たち、静けさがあります。わたしが宣教していたインドは暑く、騒がしく、そして交通マナーもかなりひどいです。

しかし、そんなインドで今リバイバルが起きています。わたしがいた3ヶ月の宣教大会で何千人もの人が信仰を告白しました。7人の盲目の眼が開かれました。耳の聞こえない人の耳も開かれました。

ある学校の校長先生は厳格なヒンズー教徒でしたが、聖霊に触れられてから自分の偶像の罪を告白し、今や宣教の業に使わされています。

モーセの時代の後、カナンの征服はヨシュアによってなされましたが、主は少しずつそれをなされました。イスラエルはいろんな経験を通してその勢力が少しずつ強くなっていき、ついにはカナンの全域を征服しました。

それは今の時代にも同じように言えると思います。わたしたちの知識、知恵、信仰を少しずつ増し加えてくださり、宣教の活動も少しずつその領域を広げてくださいます。

どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに・・(エペソ3:20)

ここで「働く」と訳されているギリシャ語は「エネルギオー(ενεργεω)」です。ここから英語のエネルギー(energy)が派生したわけです。主はわたしたちに不思議な方法でエネルギーを与えてくださいます。

実はインドネシアでの宣教の折、大きな問題が生じました。聖書学校を設立してそれを元に宣教師を送り出すプロジェクトがようやく動き出したとき、その経済的援助者が突然サポートの打ち切りを宣告し、資金の撤収をしたのです。

わたしはこのことのために4時間連続して主に祈りました。心はふさぐばかりでした。頭はだんだん下を向いていきました。「なぜですか??」と。その祈りの後、溢れんばかりの喜びが心の中に起きました。「これはわたしの問題ではなく、主の問題だ!」と悟ったからです。

「もしこれで聖書学校ができずに伝道者が養成されなくなっても、それは主が止めておられるだから、主のご意志に委ねます」という心が与えられたのです。

わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。(ヨハ10:10)

現実のみに焦点を当てると、わたしたちには喜びがありません。見えるものでなく、見えないイエスさまに眼を向けるのです。それによって問題の根っこは取られたのです。根っこが切られたのなら、その草は枯れます。それが癒しの始まりになるのです。

現実の問題は解決はしていません。しかしわたしには解決と自由が与えられたのです。

このような内容でした~

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