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2013年3月

2013年3月17日 (日)

イエス様の十字架

今日はイエス様の十字架の話です。キリスト教と言えば、十字架だから、みんなはもう何度も聞いているよね。
今年に入ってからの話を思い出してください。
ラザロの復活、エルサレムにロバに乗って入られる話、宮清め、最後の晩餐、逮捕、裁判、ピラトの死刑宣告などなど3ヶ月10回にわたって話を聞いてきました。長かった?
実は、これらの話は2,3週間ほどの間にパッ、パッ、パッとあっという間に起こったことなんだ。

ところで、みんな、十字架ってどんな刑罰か知っているかな?
簡単に言えば、十字の木に人間をくくりつける刑罰だね。
じゃ、どうやってくくりつけるのかな?縄かな?
いや、違うんだ、大きな釘なんだ。
十字架にかかりたいお友達はいるかな?
いないよね、絶対嫌だよね。
じゃ、イエス様はこの十字架に喜んでかかられたのかな?

わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。(マタイ26:39)

イエス様もやっぱり嫌だったんだ。
じゃ、イエス様は神の子なんだから、十字架にかけようとする敵をやっつけてもよかったよね。

わたしが父に願って、天の使たちを今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。(マタイ26:53)

イエス様は敵をやっつけることもされずになぜ十字架の刑罰を受け入れられたのかな?
実はイエス様は十字架につけられる1年前ぐらいから、弟子たちに頻繁に十字架の話をしていました。
「わたしは政治家や宗教指導者から辱められて十字架につけられ殺される」とたびたび話をされたんだ。
これに対して、ペテロはイエス様を叱るんですね。ペテロは親切心からそのように言ったのですが、イエス様は逆に激しく怒られました。

サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。(マタイ16:23)

イエス様は弟子たちすべてを好きだったけど、特にペテロのことが大好きだったんだ。大好きなペテロが止めたら決意決断が鈍ってしまう、逃げたいけど、そして逃げられるけど、絶対逃げられない。イエス様は辛いけれど絶対に必要なこととして十字架を考えておられたんだね。
ではイエス様は何をされようとしておられたのでしょうか?

神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者でないことを感謝します。(ルカ18:11)

あいつのように意地悪でなくてよかった、オレはあいつよりましだ。なんて思うことはないかな?
これは傲慢の罪って言ってね、実は神様の目から見ればこのような心は赦されることない罪なんだ。
でも、そんなことを言ったら、ぼくたちの中で赦される人は誰ひとりとしていなくなってしまうよね。
じゃあ、物を盗んだ人が罰を受けずに赦される方法を知っていますか?
それは別な人を犯人にして、その人がしてもいないことを白状して、そして裁判官がそれを信じればいいんです。
これを濡れ衣って言うんだ。

十字架って、実はぼくやわたしも含めてすべての人がイエス様に濡れ衣を着せた事件なんだ。
「イエス様、わたしは神様に罰を受けなければいけません。どうかわたしでなく、あなたがやったことにしてください。」
これに対して、イエス様は「わたしがやったことにするから、わたしの陰に隠れていなさい」と言ってくださっているんだ。

キリストは、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた。(ヘブル9:28)

キリストが死んで下さったことによって、神は愛を示された。(ロマ5:8)

イエス様はうれしくてうれしくて十字架に就かれたわけではありません。
でも、とてつもなく多くの人の罪を一度に解決するには、イエス様を罪人に仕立て上げるという方法、これしかなかったのです。

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