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2013年2月

2013年2月 3日 (日)

お宮に入ったイエス様

イエス様が地上におられた2000年前の昔、神様のお宮は一つしかありませんでした。
エルサレムのモリヤの丘です。
ところでお宮というのはどのような建物か知っていますか?
そうです。神様が宿られるところです。
誰が最初につくったか知っていますか?
ダビデ王の子、ソロモン王です。
そのソロモン王は最初にお宮を建てたときに、このようにお祈りしています。

天もあなたをいれることはできません。
わたしの建てたこの家などなおさらです。歴代志下6:18

この天でさえ、神様の住む場所にはなりません。しかし、神様はこの建物に住みましょうと言われたのです。
ユダヤの人たちは、過越の祭、七週の祭、仮庵の祭という3つの大きな祭ごとにお宮詣でのためにエルサレムに参拝をしにきました。
今日はイエス様が過越の祭に備えてエルサレムのお宮に入ったときの話です。
イエス様は父なる神様との静かな交わりのためにお宮に入りました。
すると、「め~」と聞こえました。次に、「も~」と聞こえました。最後に「ぽっぽ~」と聞こえました。
お宮の中に牛や羊や鳩がいっぱいいたのです!
それはお宮で商売をしていた人たちであふれていたからです。
この商売人たちは、お宮で捧げ物をする動物を売っていました。
お金持ちには牛や羊を売りました。
1万円で牛を仕入れて10万円で売っていたのです!
貧乏な人には鳩を売りました。
100円で鳩を仕入れて1000円で売っていたんです!
神様のお宮でひどいお金儲けをしていたのです。
イエス様はカンカンになりました!

イエスは、なわでむちを造り、はとを売る人々には「わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。弟子たちは、あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろうと書いてあることを思い出した。ヨハネ2:16~17

これが今日のお話です。
この話から神様は私たちにいったい何を語られているのでしょうか?
ヒントを出しましょう。
実は神様のお宮はイエス様が来られてから意味が変わっています。
では神様のお宮とはいったい何でしょうか?

あなたがたは神の宮であって、神が自分のうちに宿っている。1コリント3:16

もしパウロが名古屋出身だったら、おみゃあさんは神のお宮だなも。と言ったと思います。
そうです!神様のお宮とは建物ではなくなりました。ぼく自身、わたし自身、あなた自身なのです。
ではそのお宮を清めるとはどのようなことでしょう?
それはぼく自身、わたし自身、あなた自身を清めることなのです。
では、どのように?
わたしの経験を話しましょう。
ぼくが4歳か5歳の時、保育園の時の話です。
ぼくが通っていた保育園は送り迎えがありました。親が仕事をしている間、保育園に子供を預けて、仕事を終わると迎えに行く。
当時50人ほどの園児が保育園にいました。
うちのお母さんが迎えに来るのはだいたい早かったです。まだ園児がたくさん残っているときに迎えにきてくれました。
でもその日はなかなか来なかったんです。
お母さん来ないな~まだかな~そのうち、園児は10人ほどになってしまいました。
日が沈んできました。まだかな~
そこでわたしはとなりにいる先生に「うちのカアボーは遅いな~」と言ったんです。
先生は敏感に反応して、「内藤君、カアボーって誰のこと?」と聞いてきました。
わたしは得意になって(幼児にはよくあることですが)「あっ、カアボーね。お母さんのことだよ。遅いからカアボーだよ」と答えました。
すると先生は冷たく「そんなこと言っていたら、一番遅くになっちゃうよ」と突き放しました。
その後、10人だった園児が9人に、8人に、7人に、6人に、ついに、ぼく一人になってしまいました。
先生は「一番遅くなっちゃうよ」と言ってから一言も話をしてくれません。
先生と二人きりで何も会話をせずにじっと待っていました。10分ほどしたらようやくお母さんがやってきました。
お母さんは「先生、遅くなってすみません。」とにこやか。
先生も「いいんですよ」とにこやか。
ぼくはといえば、泣きべそをかいていました。
お母さんの自転車の荷台に乗って背中にしがみついて「何で遅かったの~」と泣いていました。
お母さんはただ笑っていました。

苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学びました。詩篇119:71

悲しみや苦しみはこれからたくさんやってきます。でもそのすべてを主はよいことに変えてくださいます。
腹が立つと「カアボー」と時々言っていたわたしですが、それ以来、40年間、一度もカアボーと言っていません。イエス様のおきてを学んだからです。

主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである。ヘブル12:6

時々怖いイエス様に出会うかもしれません。
ムチをつくって私たちを懲らしめるイエス様に出会うことがあるかもしれません。
でもその時こそが神様の愛を知るときなのです。

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