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2009年6月30日 (火)

救いの確信~6/30祈祷会

夕食後、幸田バプテスト教会(幸田町菱池錦田73-1 電話0564-62-3403)祈祷会に参加しました。

メッセージは今井勝利牧師が取り次がれました。テーマは救いの確信。聖句はロマ8章から。

ロマ書は3つに分かれます。1~8章、9~11章、12~16章。1つめは救いの教理について、2つめはイスラエルについて、3つめは実践的な事柄です。

今日読んだ8章の終わりは、聖化、栄化のまとめであると同時に、8章までの総まとめの箇所でもあります。

ロマにいるクリスチャンに対して救いを是非確信して欲しいと熱心さが伝わってきます。

今日は何故クリスチャンは救いを確信できるのかについて、3つに分けてお話しします。

1つめ。神さまがわたしたちの味方だからです。

それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。(ロマ8:31)

ここでつかわれている「もし」は、仮定法でなく、「神がわたしたちの味方なのだから」という意味です。ここは直訳すると「神がわたしたちのために(おられる)」となります。

今この世は確かに悪魔も悪霊も働いています。しかしそれらは最終的にわたしたちには勝利できません。なぜなら神さまがわたしたちの味方だからです。それは迫害や災いが起こらないという意味ではありません。永遠の命へ間違いなく導いてくださるということです。そのことについては、悪魔は介入できないということです。

ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。(ロマ8:32)

わたしたちは生まれながらにして神さまから背を向けて歩んでいた者でした。そのわたしたちに一方的な恵みによって御子イエスを与えてくださいました。それは単にこの世に来ていただいたというだけでなく、十字架上でご自分の命を犠牲にされたのです。

それはわたしたちの聖化のため栄化のため必要なもの全てを備えてくださったのです。

2つめ。キリストがわたしたちのために執り成しをしてくださるからです。

だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。(ロマ8:33~34)

悪魔は神さまの前に人を告発し訴える者です。罪に定めようと常に機会を狙っています。これに対して、キリストはご自分の義の衣を信徒に着せることによって悪魔からの訴えに対してわたしたちを弁護してくださいます。

わたしたちは救われてなお罪に対する弱さを持っています。ひとりで悪魔に立ち向かうならば太刀打ちはできません。イエスさまはわたしたちの過去の罪、現在の罪、そして未来の罪に対して、すべての時に対して貴い血を流してくださいました。

わたしたちはその十字架の血によって悪魔から無罪判決を与えられるのです。

3つめ。神さまの愛からわたしたちを引き離すものは何もないからです。

だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。(ロマ8:35)

世の宗教は信じるならば何らかのご利益があるといいます。クリスチャンは天国への道は保証されていますが、苦しみがあり、試練があることが予告されています。

信仰生活を続けていると、祈っても祈っても願い通りにならない、災いがひどくなったりすることがあります。廻りの兄弟姉妹が喜んで礼拝に出席しているのを見ると辛いものです。自分だけ神様に愛されていないのではないだろうかと疑問がわいてきます。

それは、自分の体験、感覚、感情によって主を知ろうとするからです。しかしわたしたちはそうあってはいけません。

「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。(ロマ8:36)

「ほふられる羊のように」とは日本語で「まな板の鯉」という慣用句がありますが、それに相当すると思います。それは非常な苦難の様子です。使徒たちの状況を表したものでしょう。

しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。(ロマ8:37)

このような中にあってもパウロは「クリスチャンは圧倒的な勝利者だ」と宣言することができました。それは状況によってぶれない信仰です。たとえ状況が悪くなっても変わらないのです。

わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。(ロマ8:38~39)

わたしたちはひとりひとり大変な経験をされています。兄弟姉妹の話を聞くとびっくりするほどのご苦労をされています。しかしわたしたちの回りにある荒波をどのように感じようが、回りで何が起きようがひとつだけ変わらないことがあります。

それは神がわたしたちを愛しておられるということです。そこに救いの確信があるのです。その真理を知ったとき、初めて大丈夫だといえるのです。

わたしは子どもの頃救われました。そして永遠の命を手にしました。しかしその後、道を外れて、神さまを悲しませたこともあります。それによって祝福は奪われました。しかし永遠の命だけは守ってくださいました。

神さまはそれぞれの兄弟姉妹に救いのご計画を持っておられます。一人ひとりに実現させてくださることを知り、ただひれ伏すのみです。この罪深い者までも愛してくださった主に一生喜んで仕えて歩む者とされたいです。

このような内容でした~

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