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2009年3月15日 (日)

人生の回廊~3/15日曜礼拝

今日は日曜礼拝の日。愛餐会の担当でしたので、朝早めに行きました。

メッセージは、東名古屋キリスト教会小池冨雄先生が取り次がれました。テーマは人生の回廊。聖句は第2コリント4章から。

エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。(ヨハ5:2)

ベテスダの池には回廊があり、ここに病人がたむろしていたと書いてあります。それはこの池は癒しの池と呼ばれていたからです。ある有名なサッカー選手は「人生は旅、終わりなき回廊」と表現したとのことですが、この回廊に多くの人が癒しを待っていたのです。

たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。(2コリ4:16)

わたしたちの年齢には3種類あります。ひとつは生活年齢。わたしは1938年1月生まれ。今71歳です。これは動かしようのない年齢で変わりません。

ひとつは生活年齢。これは健康状態に左右される年齢です。3番目は心理的な年齢です。80歳、90歳になっても若々しい気持ちをもっている人は大勢います。

わたしたちクリスチャンも「外なる人」は確実に年を追うごとに滅びていきます。それはクリスチャンでない人と同じです。わたしたちが幸いなのは「内なる人」が日々新たに生まれ変わっていくことです。心理的、精神的に新しくされ成長するのです。

冬の間、桜の木は死んだようです。しかしこの時期になると幹がピンク色に染まってきます。そのような木は早晩つぼみを付けます。その内に生命があるなら、春に花を咲かせるのです。

なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。(2コリ4:17)

パウロの経験した患難は決して軽いものではありませんでした。しかし神の目から見た時、将来与えられる栄光が余りにも重く、永遠の朽ちないものであるが故に軽いと感じられるというのです。

わたしは70年生きてきましたが、これほどの不況は初めてです。崩れ落ちるような時代は初めてです。大患難時代のようです。しかし神はそのような困難、患難を通して働いて下さるのです。

わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。(2コリ4:18)

わたしたちはこの世の国と神の国がだぶって世界に生きています。この世の国を見ると絶望的です。しかしその中にあっても神さまが働いておられ、最終的には神の国が勝利するのをわたしたちは知っています。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。・・あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。(マタ6:31~34)

明日のことの心配が無用なのは主が責任を取って下さるからです。明日を導かれるのは神さまです。明日を支配されるのは神さまです。だから心配するのは止めなさいと言われているのです。

このような内容でした~

愛餐会の料理はハヤシライス。茹でたブロッコリーとコーンを仕上げに加えました。デザートは伊予柑

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