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2009年2月22日 (日)

神に出会う道~2/22日曜礼拝

今日は日曜礼拝がありました。メッセージは東名古屋キリスト教会小池冨雄先生が取り次がれました。テーマは神に出会う道。聖句はヨハネ4章

今日はイエスさまと出会う道というテーマで4つの出会い方をお話ししたいと思います。

ひとつめ。イエスさまは必要を通して出会ってくださいます。

しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。(ヨハ4:4)

当時サマリヤはユダヤ人にとっては混血によって汚された異端の地でした。それは避けなければいけない罪人の地でした。イエスさまはわざわざその地を通っていかれたのです。

女は最初イエスさまと出会って、イエスさまに特別な何かを感じ始めます。そして女の過去がことごとく言い当てられることによって預言者であると思いはじめます。

女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。(ヨハ4:25~26)

イエスは大胆にもご自分を明らかにされます。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。(マタ11:28)

重荷はわたしたちの敵ではありません。むしろイエスさまと出会う道なのです。

2つめは渇きを通して出会ってくださいます。

時は昼の十二時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみにきた・・(ヨハ4:6~7)

通常、中東で井戸の水を汲みに行くのは朝か夕方の涼しいときです。真昼に井戸の水を汲みに行くのは異例のことなのです。この女は人目を避けて生活しなければいけない負い目があったのです。

彼女は人生の渇きありました。そしてイエスさまに自分の渇きを向けたのです。

渇きを妨げるものの一つは自己満足です。今の状態に甘んじるのでなく、信じることを広げていき、正直に渇きに変えていくことが大事です。

3つめは什一献金を通してわたしたちは神さまに出会います。

わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。(マラ3:10)

戦後日本はヒューマニズムという考えが広がりました。これは人間中心の考えです。反対にクリスチャンは神中心です。人間の考えからすれば、教会に献金するということはあまり意味がありません。もっと意味のあることに使えばよいと考えてしまいます。しかしわたしたちは神を中心にします。それはすべての財産はそもそも神さまに帰属し、神さまがわたしたちに分配してくださっていると考えます。

神さまはここでわたしたちに挑戦しておられるのです。それは神さまが分配されたものの10分の1を返してごらんと。そのようにしてわたしを試してごらんと。

それが祝福を受ける道だと教えているのです。

4つめは霊的な渇きを通して出会ってくださるのです。心の渇きは偽物に納得がいかない心です。本物があると求めていくことです。

祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。(ヨハ7:37~38)

日本語でも心の内面を示す言葉として「腹」と使います。「腹黒い」、「腹を割って」など「腹」と心の在処を一緒にしています。イエスさまを信じるとその人の一番奥深いところから泉が湧くのです。ため池ではありません。コンコンと湧く泉です。

テレビがあってもチャンネルが合っていなければ受信できません。わたしたちもイエスさまに心のチャンネルを合わせましょう。

このような内容でした~

20090222l 礼拝後、愛餐会がありました。今日の担当は、Matsuba さんご夫婦でした。料理は麻婆豆腐春雨スープ

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