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2009年1月18日 (日)

実を結ぶ信仰~1/18日曜礼拝

今日は日曜礼拝。教会の愛餐会(ランチョン)は、わたしたち夫婦の担当でしたので、いつもより早めに家を出ました。

礼拝のメッセージは東名古屋キリスト教会小池冨雄先生が取り次がれました。テーマは実を結ぶ信仰。聖句はヨハネ伝15章から。

わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。(ヨハ15:2)

クリスチャンは信仰生活をすることが目的ではありません。実を結ぶことが目的です。

今日の聖書箇所、ヨハネ15章1節から11節までに「とどまる」という御言葉が12回も登場します。

パウロは「キリストの中にある」を大事なこととして捉えていましたが、そのこととも関連のある言葉です。

今は実を結ばない時代です。物質文明が崩壊した感もあります。今まで頼ってきたことが消えた時代にあります。

ある意味、とてもめまぐるしく変化する時代です。しかしイエスさまは「ゆっくりわたしにとどまっていなさい」と言われたのです。

わたしはノルウェーの宣教師に導かれて信仰に入りましたが、その方と一緒に奉仕したという記憶はほとんどありません。もちろんそれもしましたが、記憶にあるのは宣教師の方が美味しいコーヒーを出してくれた、美味しいケーキ --- 手作りですよ --- を出してくれたこと、のんびりと語り合ったこと、そういったことです。そしてそのことが私の心に深く根ざして今のこのわたしがあるのです。

「わたしにとどまっていなさい」は英語では "abide me" と訳出されています。それはじっと待っていない際、覚悟して待っていなさいという意味合いのある言葉です。

人間関係がしっかりしていれば失敗しても赦すことができます。失敗しても期待することができます。逆に信頼関係がしっかりしていないと人間関係も愛も冷えてしまいます。消極的になってしまい、結果、赦すことができなくなってしまいます。小さな誤りも大きく考えるようになってしまう。

今、わたしたちが問われているのは、本当にイエスを信頼していますか、兄弟を愛していますかということです。

しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、あなたはその枝に対して誇ってはならない。(ロマ11:17~18)

パウロはわたしたちはイエスさまに接ぎ木されたものだという趣旨のことを語っていますが、接ぎ木というのは、枝を幹に差し込むことによって幹の栄養分をもらい枝が成長することです。それは瞬間接着剤のようにすぐに接がれるわけでなく、長い時間を要するのです。

わたしたちはすぐに結果を求めやすい傾向があります。そのために接ぎ木された枝を抜いたり刺したりして確かめようとする。それではいつまで経っても幹には接がれないのです。

田中つやという先生がお見えになりました。先生はわたしと会うたびにあなたのために祈っているよと言って握手する手に必ずお金を入れて渡してくれました。

この先生と会うとき、恐れさえ感じました。それはこの先生は本当に心から祈ってくださっているという真剣さがひしひしと伝わってきたからです。

先生は空港拡張で自宅が収用されたときも「自宅の敷地が広がった。感謝」と言って文句を言いませんでした。交通事故で障害を与えられたときも「損害賠償をいただいた。感謝」と言っても文句を言いませんでした。そんな先生も認知症になり老人ホームに入り、曜日も分からなくなりましたが、毎日「わたしは教会に行く」と言われて老人ホームの前で聖書を風呂敷に入れて待っておられたそうです。

この先生のことを思うと主にとどまって生き抜かれた人だと感動するのです。自分はどうだろうかと考えてしまうのです。

主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。(創3:9)

創世記3章には禁断の実を食べたアダムとエバが身を隠し、神さまから身を隠します。これに対して神さまは「あなたはどこにいるのか」と言われます。

わたしたちは生産性を求め、経済性を優先させて生きてきました。その思考回路は教会生活にも適用してきました。時間を掛けて祈れば大丈夫だとか、時間を掛けて聖書を読んだから良いとか、集会に出て恵まれたから安心だとか、考えてしまいます。それらはもちろん大事でしょう。しかしそれ以上に大事なことがあるのです。あなたはどこにいるのですか。あなたはイエスさまとどのような関係なのですか。

ビリー・グラハムの伝道で活躍した福音歌手の中に、ベバリー・シェアという方がおられます。彼は聖歌の「キリストにはかえられません」という聖歌を作詞してずっとそれで奉仕してきた方です。彼が90歳の時にその賛美を聞きました。若い人が歌えば声量もあるし、美声でしょう。しかしあの歌の中に生きてこられたんだ、あの信仰の中で生きてこられたんだと思わせる力がありました。

ではわたしたちの実とは何でしょう。ガラテア5章に書いてあります。

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制(ガラ5:22~23)

愛、喜び、平和は、神さまに対する実です。

寛容、慈愛、善意は、人々に対する実です。

忠実、柔和、自制は、自分自身への実です。

イエスさまの弟子には、短気な人もいたし、疑い深い人もいたし、弱い人もいた。キリストの弟子になるというのは、枝が幹に結びつくことです。何かをやったことではありません。

このような内容でした~

20090118l 礼拝後、愛餐会。今日はハヤシライスをつくりました。隠し味は無塩トマトジュースと赤ワイン。これで高級感が出せます。

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