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2008年10月26日 (日)

仕えるしもべとしてのキリスト~10/26日曜礼拝

今日は日曜礼拝。愛餐会の担当の日でしたので、早めに出発。昨日仕込んでおいた鶏ガラスープを使ってミネストローネをつくりました。ほかはガーリックバタートースト

メッセージは東名古屋キリスト教会小池冨雄先生が取り次がれました。テーマは仕えるしもべとしてのキリスト。聖句はヨハネ福音書13章から。

最近のニュースは経済問題一色です。わたしの家内も株券が1/10の価値になってしまったと嘆いています。しかしこれはこの世の出来事です。

マタイ14章にはイエスが海の上を歩かれて弟子たちの所へ来られる話が載っています。これは静かな海を歩かれたと思いこみやすいですが、よく読むと嵐が吹き波に悩まされていたときであることに気付きます。

嵐の中にも主は来られるのです。今は経済的な嵐です。しかしその問題の中にもイエスは来られるのです。

さて今日はヨハネ13章を見ていきます。これはイエスさまが弟子たちの足を洗われる記事ですが、1節の部分の文語訳が実に味があります。

イエスこの世を去りて父に往くべき己が時の来れるを知り、世に在る己の者を愛して、極までこれを愛し給へり。(13:1)

「世に在る己の者」とはクリスチャンのことです。これを「極までこれを愛し給へり」というのです。英語なら "love unto the end" です。この世の終わりまで、隅々まで至る愛をもって愛される、この世の時間の外でも、この世の領域を超えて愛されるのです。

すべてのわざには時がある(伝道の書3:1)。聖書には「神さまの時」と「人間の時」の対立が書いてあります。たとえばイエスがご自身が十字架に付くことを予告されたとき、弟子たちはごぞって阻止しようとしました。

こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。(13:6)

ペテロはイエスが足を洗っている意味が分かりませんでした。イエスはわたしたちの罪を洗い清めるために来られたのです。バプテスマを受けた人は全身が清い者とされます。しかし日々の歩みの中でわたしたちは罪を犯します。そのような日々の罪を洗い清めてくださる方をわたしたちは必要としているのです。

足は洗うのは奴隷の仕事でした。イエスは自ら奴隷のようになられたのです。そこまでしていただかないとわたしたちは清くならないのです。そこまでして人に仕えるべきことをイエスさまは教えてくださったのです。

人の前に跪くこと。こうして始めてわたしたちは主の晩餐に付くことができるのです。そこに主が極みまで愛してくださった御愛を見ることができるのです。

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。(13:15)

わたしがそうしたのだから、あなた方もそうしなさい。イエスさまはそのように言われました。その気持ちで仕えあっていきましょう。それが神の国です。

このような内容でした~

20081026l 礼拝後の愛餐会は30名ほど残り、楽しい時を過ごしました。

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