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2008年8月24日 (日)

目の見えない人の癒し~8/24日曜礼拝

今日は日曜礼拝。メッセージは先週に引き続き東名古屋キリスト教会小池冨雄先生が取り次がれました。テーマは目の見えない人の癒し。聖句はヨハネ9章から。

弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか。(ヨハ9:2)

不幸な境遇にいる人に出会うと、ある人は因果応報だというでしょう。ある人は先祖からの因縁がそうさせたのだというでしょう。あるいはそれは運命だとか、方角が悪いのだというでしょう。弟子たちもそう思ったのです。

イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。(ヨハ9:3)

しかしイエスの答えは不思議なものでした。この人の上に神さまの愛が現れるためだとおっしゃったのです。

わたしたちは生まれつき目の見えない者です。本物が見えていないのです。

先週の礼拝でも言いましたが、神さまは考えて分かるようなお方ではありません。聖書を読んで、注釈書を読んで、そして考えていても、途中で止まってしまうのです。聖書がいっているのは、神さまのすべては分からないけれどもそのまま信じなさいといっているのです。そうすれば様々なことが見えてくるのです。

わたしたちが「イエスを信じます」と告白するとき、実はすべての将来がその言葉の中に入っています。考えても考えつかないいろいろな将来 --- 禍もあれば、試練もあれば、誘惑もあります --- とにかくすべてがその信仰告白の中には入っているのです。信じるというのはそれほどに深い意味を持っているのです。

イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。(ヨハ9:6~7)

いろいろな障害が人生にはあります。それらの障害は自分で取り除きたいとあれこれその方策を考えますが、自分の力には限界があります。この盲人の場合も、イエスさまが取り除かれたのです。

この箇所で「シロアム」という池が出てきますが、この意味がわざわざ記されています。それは、つかわされた者、の意だと。「つかわされた者」とは誰でしょう?イエスさまではないですか!これはわたしたちがイエスさまの御許に行くべきことを暗示していると思います。

そこで人々は彼に言った、「では、おまえの目はどうしてあいたのか」。(ヨハ9:10)

この癒しの後、多くの人が、この盲目の人に聞き出そうとします。しかし、何度も何度も説明しても理解できないのです。彼らが神さまを考えようとしたからです。そして信じようとはしなかったからです。

イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。(ヨハ9:41)

わたしたちは生まれつきの盲人であることを素直に認めましょう。そしてイエスさまの御許に行き、見えるようにしていただきましょう。自分の人生すべてをキリストに委ね、信じていきましょう。

このような内容でした~

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コメント

今日も礼拝に行けれなかった~今日は子ども会イベントで食品サンプル作りをやりました
とても美味しそうなパフェを作りました
賞味期限100年の優れものです
インテリアにも良いですよ

投稿: るか | 2008年8月31日 (日) 14時08分

るかさん、おはようございます~
昨日はお天気でよかったですね♪

礼拝は、Shoji兄弟のメッセージでした。
兄弟も一生懸命メッセージして、多くの方が
聞き入ってました。
続けて兄弟のこれからのためにお祈りください。

投稿: Yonatan | 2008年9月 1日 (月) 10時28分

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