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2008年6月22日 (日)

クリスチャンの歩み方~6/22日曜礼拝

今日は日曜礼拝。メッセージは東名古屋キリスト教会小池冨雄先生が取り次がれました。聖句はエペソ4章24節から5章2節。テーマはクリスチャンの歩み方でした。

エペソ5章には、クリスチャンの歩み方として3つのことが書かれています。

まず2節の「愛のうちを歩きなさい」。そして8節の「光の子らしく歩きなさい」。最後に15節の「賢い者のように歩きなさい」。

今日は「愛のうちに歩く」ことに焦点を絞ってお話しします。

すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。(エペ4:31)

パウロはここで「捨て去りなさい」といっているわけですが、それは異教徒であったときに持っていたものを捨ててしまいなさいといわれたのです。

無慈悲とはギリシャ語で「πιχρια(ピクリア)」ですが、それは「和解さえも拒否する思い」という意味だそうです。自分が受けた侮辱に対して相手への恨みを思い続けるその心です。

憤りとは、ギリシャ語で「θυμοs(トゥモス)」ですが、それは「感情の爆発」という意味です。それは焚き火の炎が燃え上がるようなものです。最近秋葉原で痛ましい事件が起きました。容疑者の男性は自分が社会から無視された存在であることに腹を立てて自分で自分を制することのできない憤りに襲われて事件を起こしたということですが、人間の怒りというのは本当に恐ろしいものです。

それではこれらの罪なる感情をどこに捨てるのでしょうか?

それは罪が赦されている場所に捨てるのです。イエスさまは「わたしのところへ来なさい」といわれました。それは自分の罪をきれいにしてからではありません。罪の姿のままありのままの姿でイエスさまのところへ行くのです。それは罪を赦す権威のある方はイエスさまをおいて他にいらっしゃらないからです。

彼は人の持っている全ての罪をあがなわれた---すべて赦されたのです。悪意、そしりそれ以外のもろもろの罪を全部十字架の上に捨て去ったのです。

互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。(エペ4:32)

わたしにも赦せない人はいます。会うのも嫌という人もいます。赦そうと赦そうとは何度も思っています。それでも腹の底からは赦せない。不思議なことに神さまはそのような人にわざと会わせられるのです。神さまはそれを通して人生のレッスンを与えてくださるのです。有意義なときとしてくださるのです。

この間も10年来口も聞きたくないと思っていた人の所に宿泊せざるを得なくなりました。宿泊した夜、その人と久しぶりにゆっくり話しました。そして話をしていく内に互いに赦す心が芽生えていきました。不思議なことです。

こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。(エペ5:1)

最近わたしは習字の練習を始めました。ある信徒が小学生相手に習字の教室を最近始めたので、字の下手なわたしも便乗したわけです。

習字とは最初はお手本をなぞることから始めるそうです。お手本のとおりに書いていく。

わたしたちはいくら頑張ってもイエスさまにはなれないと思われるかも知れません。しかし元々わたしたちは、神のみすがたに似せて造られたと書いてあります。わたしたちには神さまのように造り変えられる素質を持っているのです。

また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。(エペ5:2)

キリストはわたしたちを神のみすがたに回復されるために神の香りとしてその身を捧げられたのです。キリストはわたしたちだけでなく、すべての人のために捧げられたのです。その愛の中にある時に互いに赦し合うことができるのです。

このような内容でした~

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