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2008年5月18日 (日)

あなたにとってイエスとは誰か~5/18日曜礼拝

20080518w 今日は日曜礼拝。メッセージは東名古屋キリスト教会小池冨雄先生。聖句はマルコ10章46~52節から。テーマはあなたにとってイエスとは誰かでした。

イエスが弟子たちや大ぜいの群衆と共にエリコから出かけられたとき、テマイの子、バルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。(マル10:46)

ここでの記事は、イエスが十字架が間近に迫っていて、ご自身もそれをよくご存じの緊迫した状況でした。

この盲人はエリコから出られる時のイエスをとらえて叫んだのです。

ところが、ナザレのイエスだと聞いて、彼は「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」と叫び出した。(マル10:47)

この盲人バルテマイが、「ダビデの子イエス」と呼んでいることに注意してください。人々はイエスのことを「ナザレのイエス」と呼んでいました。

ダビデはイスラエル史上の有名な名君です。そして彼の子孫から救い主メシアがお生まれになることをバルテマイは誰かから聴いて知っていたのでしょう。彼はイエスに叫んだだけでなく、イエスを救い主メシアとして信仰告白しているのです。

今日はこのバルテマイの信仰に倣って欲しいと思うのです。

イエスはエリコを出られようとしていました。だからこの盲人にとってはイエスを呼び求めるラストチャンスかも知れないという緊迫感がありました。ましてや自分は目が見えない。イエスを追っていくこともできない。「この時しかない!」

多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」。(マル10:48)

だから彼はみんなから「黙れ」と叱られても黙りませんでした。

わたしたちはどうでしょう。今後のために不動産を準備しよう、お金を貯めよう、などと将来に備えます。それ自体悪いことではありません。しかし、その日、その時、この朝、この時にしか与えられていないチャンスがあるのです。

そこで彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにきた。(マル10:50)

バルテマイは上着を脱ぎ捨ててイエスさまの元に来ました。彼は自分を覆っていたものを脱ぎ捨てました。わたしたちもさまざまなしがらみで覆われています。肉体的なもの、霊的なもの、その覆いはさまざまです。しかし、わたしたちはこのバルテマイに倣ってそれらの覆いを捨て去ってイエスさまに信頼することが必要なのではないでしょうか。

イエスは彼にむかって言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。その盲人は言った、「先生、見えるようになることです」。(マル10:51)

イエスさまは今更ながら何をして欲しいかとバルテマイに聞かれました。わたしたちも分かり切ったことでも再び言い表すことが必要なのではないでしょうか。

わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。(ピリ3:12~14)

パウロはここで、自分は生涯求道者だと告白しています。わたしたちも死ぬまでダビデの子、イエスを叫び求めていく者です。神さまが求めておられることを求め続けましょう。

ファニー・クロスビーは、5000曲以上の賛美歌を作詞しましたが、盲人でした。生後6週間の時に医療ミスで視力を失ったのです。彼女はこのバルテマイのことを偲んで詩をつくりました。それが聖歌540番、主よわがそばをばなのです。

主よわがそばをば すぎゆかず
なが目をばわれに むけたまえ
主よ主よ ききたまえ
せつによびまつる わがこえに

主はわがいのちぞ なぐさめぞ
他にはたのむべき 神あらじ
主よ主よ ききたまえ
せつによびまつる わがこえに

このような内容でした~

礼拝終了後、教会の年次総会があり、わたしは水曜日クラスの報告しました。

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