« 信仰による義を立てる~12/30日曜礼拝 | トップページ | 感謝をささげる~1/6聖日礼拝 »

2008年1月 1日 (火)

喜んで主に仕える~1/1新年礼拝

帰省の7日目、最終日の午前中、新年礼拝があったので、母と一緒に出席しました。

メッセージは八幡前田教会(福岡県北九州市八幡東区前田1丁目10-23 電話093-671-1386)金生一郎先生から。テーマは「喜んで主に仕える」です。

聖句は詩篇100篇1節から5節。

全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前にきたれ。(1~2節)

仕えることの重要さを教えられる毎日です。主のしもべとしていただくというのは信仰生活の原点であると感じています。

そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。(ルカ1:38)

人間的に考えると「しもべ」とか「仕える」ということを押しつけられたら、気が重くなってしまいます。しかしわたしはそれが主からの大きな恵みと感じています。

取るに足りない者を救いに預からせて、主に仕える者に変えてくださった。これが誇りになり、喜びにつながるのです。仕えるというのは嫌々ながらでなく喜んでするべきことなのです。

時々未信者の方から「教会というのはどのようなところですか?」「毎週行かなければ行けないのですか?」「教会活動は大変ですね」と言われることがあります。

しかし、わたしたちにとって教会に行くことは喜びなのです。

もしも義務的に主の御前に集うとすれば、それはむなしいことです。わたしも毎週教会に行くことが苦痛なときがありました。決められたこととして縛られていましたが、喜びをもって主に仕えていくことへと変えられていきました。

受胎告知を受けたとき、マリアは「わたしは主のはしためです」と告白しました。そのとき彼女の不安、恐れは消えていきました。主が共におられることを確信したからです。そして「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます」という信仰告白につながっていったのです。

もしマリアが自分が主人であったと感じていたとすれば、このような賛歌は歌われなかったでしょう。しかし彼女は自分が「主のはしため」である、つまり自分を無にしたときに喜びが溢れてきたのです。わたしたちは日々「主に仕えていくこと」を問われているのです。

ダビデはその日サウルを恐れて、立ってガテの王アキシのところへ逃げて行った。(サム上21:10)

ダビデはサウル王に追われたとき、主を頼みとしないで、ガテの王アキシを頼りとしました。わたしたちは目の前の事柄に眼を向けると恐れて不安になることがよくあります。実はそれは神さまに仕えていく姿勢が崩れていることなのです。それによって恐れと不安に悩まされるのです。

ダビデはついにはアキシをも恐れ気が狂ったふりをして命からがら逃げ出します。

マリアは天使からの突然の告知に対して主をたたえ自分を無にしましたが、それによって問題が解決したわけではありません。しかし主が働かれているとの信仰を持ったときに喜びに満たされたのです。

わたしたちもダビデのように主に背を向けてしまうことがありますが、再び主に立ち返ることができます。神さまがわたしたちの上司になってくださるとはなんと心強いことでしょうか。

喜びをもって主に仕え、一日一日を着実に主に仕えていくことが大事なのではないでしょうか。牧場の羊たちが毛を刈りとられるとき、その主人にじっとして身を委ねています。そのようにわたしたちも神さまにお任せで身を委ねていくこと。それがポイントです。

このような内容でした~

|

« 信仰による義を立てる~12/30日曜礼拝 | トップページ | 感謝をささげる~1/6聖日礼拝 »

修養会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 喜んで主に仕える~1/1新年礼拝:

« 信仰による義を立てる~12/30日曜礼拝 | トップページ | 感謝をささげる~1/6聖日礼拝 »