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2007年12月16日 (日)

博士の信仰から学ぶ~12/16日曜礼拝

今日は日曜礼拝。メッセージは東名古屋キリスト教会小池冨雄先生から。テーマは、博士の信仰から学ぶ。マタイ2章からの説教でした。

博士たちは星に導かれてやってきた。わたしたちもある意味、星に導かれて教会に導かれたのではないでしょうか。

わたしの場合は55年前ノルウェイの宣教師に惹かれて毎日教会に通っていました。行くたびに当時としては珍しい本物のコーヒーと手作りドーナツで迎えてくれました。わたしにとってはその宣教師が教会に導いた星でした。今は老人ホームに入り、足も不自由で、認知症にもなり、もうわたしのこともわからない状態ですが、それでも彼はわたしにとっては星なのです。

博士たちは何年も掛けてキャラバンを組んでエルサレムにやってきたと思われます。彼らはわたしたちの信仰のあるべき姿を現していると言えます。

ベツレヘムはエルサレムから南に8キロの街で、そこにあるベツレヘム教会は最古の教会と言われています。イスラエル旅行に行ったときに政治的な事情でベツレヘムには入れなかったのですが、この教会の入り口は高さが1mほどだそうです。それは謙遜の気持ちを持たせるために狭い入口にわざわざしたそうです。

名古屋一麦教会は今は新しくなり違いますが、昔は10時30分の礼拝時になると門が閉められました。それ以降に入るものはその門の横にある小さな入口から入ることになっていましたが、これもまた同じ理由です。

ベツレヘムは原語を分解すると「ベエト」と「レヘム」になります。それぞれの意味は「家」と「パン」です。つまりベツレヘムは「パンの家」という意味だそうです。イエス様は「わたしは命のパンです」と言われました。だから「パンの家」でイエス様が誕生されたというのは興味深いことです。

クリスチャンになり、降誕の記事を毎年読みますが、いつも新しい発見があります。いつも新鮮なんです。今日はマタイ1章から示された4つのことをお話ししたいと思います。

1つめは「やってきた」ことです。

博士たちは今のイランともイラクとも言われている地から何年も掛けて星だけを頼りにやってきました。わたしたちも何かあると思うからやってくるのです。

わたしの場合、信仰を持ったのは高校生の時ですが、学校には週6回行って、教会には学校の行き帰りに行っていましたので、週に10~12回行っていました。ノルウェイの宣教師はそばにいるだけでホッとする人でした。

あなたも誰かを導くための星になれます。

2つめは「幼子に出会った」ことです。

博士たちはイエスを幼子としてみたのでなく、神さまとして、メシアとしてひれ伏しました。

人生には長い困難、山あり谷ありがあります。ある人は「人生には3つの坂がある」と言いました。それは「上り坂」「下り坂」「まさか」だそうです。

博士たちの前には、キリストの王座も、すばらしい教えも、奇跡も、十字架もなかった。幼子しかいなかったのです。しかし、そのイエスをメシア、救い主としてとらえました。

ローマ書10章には「信仰は聞くことから始まる」という御言葉があります。聖書の言葉はわたしたちにとって生きる星であり、イエスこそキリストであり、メシアであると教えている書物です。救い主と信じて教会に行くのもキリストと出会うためにほかなりません。

3つめは「ひれ伏して拝んだ」ことです。

「礼拝する」の英語 worship は、worth-ship(価値のあるもの)であると言われます。価値のあるものとして畏敬の念を持って博士たちは伏し拝みました。わたしたちも礼拝なしに本当の信仰はありません。

4つめは「大事なものをささげた」ことです。

博士たちは黄金、乳香、没薬といった当時では大変貴重なものをイエスさまにささげました。

わたしたちも、まず教会を第一とし、他の人を励ます器として、慰めを与えるものとして成長するべきです。ローマ書12章には、神に受けいれられる生きた供え物としてささげなさいと書いてあります。礼拝は献身とつながっていくべきものなのです。

キリストを求めて求道し、キリストに出会い、メシアへの畏敬の念を持ち、神への奉仕として自分をささげる。
それが今年、わたしが降誕の話から学んだことです。

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