2008年8月17日 (日)

賢い人のように歩む~8/17日曜礼拝

20080817 今日は日曜礼拝。メッセージは東名古屋キリスト教会主任牧師の小池冨雄先生が取り次がれました。テーマは賢い人のように歩む。聖句はエペソ書5章から。

前回前々回からエペソ書5章について取り扱ってきました。前々回が愛のうちに歩む。前回が光の子として歩む。そして今回は賢い人のように歩むがテーマです。

賢い人とは誰でしょう。勉強ができる人でしょうか。要領のいい人でしょうか。そうではありません。聖書が語っているのは、知恵のある人のことです。

そしてその知恵とは本来神からいただくものです。この世の知恵ではありません。この世の知恵は考えるものです。考えることには限界があります。パウロは考えることによるのでなく、信じてくださいと言っているのです。

ロダンの考える人をみなさんご存じでしょう。最近知りましたが、これは1900年初期の作品ですが、彼は1200年頃に書かれたダンテの神曲を読みながら製作したそうです。神曲には地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部に分かれています。この考える人は下を見ていますが、それは地獄へ吸いこまれている人たちを見ているとの想定で造られているということです。考えるだけでは何も生まれないのです。

そのような知恵は、上から下ってきたものではなくて、地につくもの、肉に属するもの、悪魔的なものである。(ヤコブ3:15)

ヤコブは知恵にも上からのものと、下からのものがあると語っています。上からの実は清さ、平和、寛容、温順などがあり、下からの知恵には苦々しいねたみや党派心であり、それは悪魔からのものだと断言しています。

わたしたちは将来どうなるのか不安の中にあります。これは考えていても不安ばかりが増幅されるばかりです。わたしたちは主がどんなに大きなことをしてくださり、大きなことをこれからもわたしたちのために備えてくださっていることを信じることが解決なのです。

あなたの機会を十分に生かしなさいと主は言われます。自分ができることをまずしてあげて下さい。子供は大人が応えることによって成長していきます。わたしたちはほかの人の成長のために応えていきましょう。

酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。(エペソ5:18~19)

自分のなすべきことは何であるかを悟ることが大事です。それは自分の考えではありません。イエスさまの考えです。主の御心はどうしたら分かるか。それは賛美の歌をうたうことによってわかると聖書に書いてあります。

今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。(エペソ5:16)

本当に今は悪い世の中です。みなさんも実感しているはずです。無差別殺人、物価高、医療問題、温暖化とさまざまな悪がはびこっています。

賢く歩むためには、神の御霊に満たされることです。そして主に礼拝を捧げなさい。奉仕にかかわる生活をしましょう。神からの知恵を求めましょう。

このような内容でした~

20080817l 礼拝後、近くのサイゼリヤにて信徒のみなさんとランチに。楽しい時を過ごしました~

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2008年8月16日 (土)

背後の祈りについて~8/16夏期聖会(午後)

200808161 今日は所属教会の夏期聖会が午前、午後の2部ありましたので出席しました。メッセージは八尾福音教会(大阪府八尾市桜ヶ丘 1-31-3 電話072-999-7988)の主任牧師・道本純行先生が取り次がれました。

午後のテーマは背後の祈りについて。聖句は出エジプト記17章から。

あなたがエジプトから出てきた時、道でアマレクびとがあなたにしたことを記憶しなければならない。すなわち彼らは道であなたに出会い、あなたがうみ疲れている時、うしろについてきていたすべての弱っている者を攻め撃った。このように彼らは神を恐れなかった。(申25:17~18)

この章ではアマレク人がイスラエル人の背後を突いて攻めてきたときの話が記載されています。信仰の危機は疲れているときにやってきます。疲れはつぶやきに変わり、つぶやきは反抗に、そして滅びにつながります。

モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。(出17:11)

ここでは丘の上の戦いと平地の戦いについて述べられています。平地ではヨシュアが戦っていましたが、丘の上では激しい祈りがなされていました。それが勝利の理由だったのです。

あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。(ヤコブ1:5)

聖書の中で富や財産については求めてもとがめられませんが、知恵については、どんなに求めても主からとがめられることはありません。

祈りは工夫と聖霊によってなされるものです。キリストの中によみがえらされて、毎日デボーションを欠かさずにして、清い手を挙げ、時には異言で祈ることが必要です。異言は神さまとのホットラインです。手を挙げて祈ることは降参も意味します。主に全く委ねて自分ではできない、主にしていただくしかないという気持ちが必要です。

教会の信徒で学校の先生がいました。彼のクラスは荒れに荒れて学級崩壊状態でした。ある時、彼は「わたしはもう担任を辞めます。イエスさま、あなたがこのクラスの担任になってください」と祈りました。

その日から彼は教室に入る前にまず「イエスさま、どうぞ」と言って、イエスさまにまず教室に入っていただき、その後自分が入るようにしました。

この後、このクラスが一変したのです。ある時、遅刻した女子生徒が「先生、今日、先生の前に白い衣を着た外国の人が入っていったけど、あれ誰なの?」と聞いてきました。

みなさんにはその方がどなたなのか分かるでしょう。主を自分の家の主人に迎えましょう。

このような内容でした~

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あなたの天幕を広げよ~8/16夏期聖会(午前)

20080816 今日は所属教会の夏期聖会が午前、午後の2部ありましたので出席しました。メッセージは八尾福音教会(大阪府八尾市桜ヶ丘 1-31-3 電話072-999-7988)の主任牧師・道本純行先生が取り次がれました。

午前のテーマはあなたの天幕を広げよでした。聖句はイザヤ書54章から。

「子を産まなかったうまずめよ、歌え。産みの苦しみをしなかった者よ、声を放って歌いよばわれ。夫のない者の子は、とついだ者の子よりも多い」と主は言われる。「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ。(イザヤ54:1~2)

子を産まなかった、産みの苦しみをしなかった、夫のない者と3つの表現で語られていることは、特定の個人ではなく、国家的なことです。具体的には南ユダがバビロンに捕らえ移された状態を指しています。

それゆえここではまず、南ユダの解放を表しています。そしてキリストが来られて福音が全世界に宣べ伝えられることも表しているといわれます。

ヤベヅはイスラエルの神に呼ばわって言った、「どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、わたしを災から免れさせ、苦しみをうけさせられないように」。神は彼の求めるところをゆるされた。(歴代上4:10)

わたしたちは祈るときに、御心がなりますようにと控えめに祈ることがよいと思いがちです。しかし、このヤベヅの祈りを読んで下さい。彼は大胆に主に祈り求め、それが聞かれたと書いてあります。

わたしはよくひとりになって祈ります。そんな時は両手を天に上げて、人に聞かれたら恥ずかしいようなお願いもします。神さまはわたしたちのお父さんなのですから、何でも祈り求めればいいのです。

最近「思いが実現する」ことをテーマにした本がよく売れると聞きました。確かに一面そうでしょう。今の文明はわたしたちがもしこのようになったらいいのになぁということが実現しています。

信仰もまずは思いを持つことが大事です。そのような意味では暗示と信仰は似ているかも知れません。しかし、決定的に違うのは、暗示はないものを信じていますが、信仰はあるものを信じていることです。

太宰治は聖書を読んでいましたが、信仰に至らずに自殺しました。ある学者によれば、それは「聖書によって自分を読んでしまったからだ」と表現しました。1人で聖書を読む危険性がここにあります。山上の垂訓を読んでいると、「神さまは要求しておられるのに自分にはできない」と情けない思いが出てきます。だから教会で聖書を読むことが大事です。そこで互いの不完全さを告白するときにほかの人も同じであることに気付かされるのです。

ここに弟子訓練の秘訣もあります。聖書を読んで信徒同士で勉強し合い、発表し合う。そこで信徒一人ひとりが大きく成長するのです。説教を聞くだけでなく、自ら探し出して御言葉を食べていく姿勢が必要です。

パナソニックの創立者の松下幸之助さんの本を多く読みました。ある人が心配して松下さんに「経営のノウハウを教えておられますが、真似される危険性があるのでは?」と助言しましたが、松下さんは笑って「誰も実行しないから大丈夫ですよ」と応えたそうです。

日本のクリスチャンは福助クリスチャンが多いと思います。耳だけ大きくて、足腰が弱い。足腰が丈夫というのは、デボーションの時間を持ち、人生に証しがあり、捧げる心を持っていることです。献金の話をすると「牧師がお金を狙っている」と非難する人もいますが、そんなことありません。主のために用いて下さいと祈って捧げるならば、それを何倍にもして用いて下さるでしょう。

このような内容でした~

お昼は持ち寄りパーティ。わたしたちは近所のスシローで予約しておいたお寿司を提供しました。

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2008年8月10日 (日)

栄冠を目指して~8/10日曜礼拝

20080810 今日は日曜礼拝。愛餐会があり昼食の担当はわたしたち夫婦でしたので、早めにいって準備をしました。

メッセージは豊田ホープチャペル山本孝次牧師が取り次がれました。テーマは栄冠を目指して。聖句は第2テモテ4章から。

わたしたちが何に向かって走っているか分からずに走るとすれば大変な問題ではないでしょうか。

わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。(2テモ4:7)

信仰生活には必ず戦いがあります。それは自分の罪との戦いです。神さまに赦されているという安堵感から何度も同じことを繰り返すクリスチャンがいます。しかし、わたしはそのような信徒に対しては「それは聖書には書いてないよ」とはっきり言います。

真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。(2テモ4:4)

牧師というのは辛い職業です。信徒をとにかく天国まで連れて行ってやらないといけない。嫌われることでも最初はやんわりとしかし後の方ではかなりきつい言い方をして諫めます。牧師は信徒に好かれるためにあるのではなく、天国まで道案内をすることが役割だからです。

最近は上司に諫められると両親を連れてきて抗議をする社員がいるそうです。他人には厳しく自分には甘くというのはわたしたちにしばしば見られますが、イエスさまは「兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか(マタ7:3)」と言われました

わたしにも双子の孫が生まれました。しかしもし彼らがいつまでも保育器の中に入っていたらどうでしょう?悲しまないでしょうか?同じようにわたしたちがもし恵みの中にとどまって成長がなければ神さまは嬉しくは思われないでしょう。

御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。(2テモ4:2)

イエスさまが1ミナを地に隠しておいたしもべに対して何と言われたでしょう?「悪い僕よ(マル19:22)」です。わたしたちがもし神さまから与えれた賜物を出し惜しみして神さまのために用いて使わなければ、決してほめられることはないでしょう。

ある人のタレントは料理かも知れません。そのような人は料理を作って近隣の人を招待して、BGMに賛美を流すといいでしょう。「この素敵な曲は何ですか?」と聞かれたら答えてあげることができるでしょう。それは立派な伝道にもなります。

地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。(ヘブル11:13)

わたしたちのこの地上生活は一時的なもの、仮住まいです。自分の思いを注ぎ込んでマイホームを造ってもそれはいつかは滅びます。旅人は余分な荷物を持ちません。もしお金があるなら、天国銀行に預けてください。特別な利率です。30倍、60倍、100倍になるのです。

今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。(2テモ4:8)

わたしたちには必ず報いがあります。ある箇所では命の冠、別な箇所では栄光の冠と書いてあります。わたしたちには栄光が待っているのです。それがわたしたちへの報酬です。

天国を望み見て過ごしましょう。

このような内容でした~

20080810l 礼拝後は、愛餐会。今日の料理は冷やし中華。市販のめんつゆ(2倍稀釈)、米酢、胡麻油を5:3:1の割合で混ぜ合わせて作りました。美味しかったです~

20080810l1 愛餐会は18名が参加。お盆休みにしては結構出席してくれました。お食事と会話を楽しみました。

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2008年8月 3日 (日)

ダビデの失敗に学ぶ~8/3聖会(第2回)

20080803c 今日の午後7時から、Karuizawa Union Church での2回目の礼拝がありましたので参加しました。

メッセンジャーは、同じく Dave Rose 先生です。テーマはダビデの失敗に学ぶでした。聖句は第2サムエル11~12章から。

ダビデがバテシバと罪を犯した後、バテシバは妊娠します。罪には必ず結果を伴うことの象徴です。

動揺した王はウリヤを戦場から呼んでどうにかバテシバと一緒に寝させようと試みます。が、忠実なウリヤの前にことごとく失敗します。

ついにはウリヤをわざと前線に送り軍を撤退させて犠牲にします。

この世には悪に対して大きく2つの考えがあります。ひとつは恥の文化、もうひとつは罪の文化です。恥の文化では公にならなければ悪ではない、と考え、罪の文化は公にならなくても悪は悪だと考えます。

ダビデはこの時、恥の文化の中にありました。

あなたがその人です。(2サム12:7)

ナタンの叱責でダビデはようやく気付きます。

申命記5章にはモーセの十戒が記されていますが、ダビデはこの十戒すべてに違反したとも言えます。

聖書の他の箇所では「ダビデは主の心にかなった」者として記されています。神さまは違うダビデについて語られているのでしょうか。もちろんそうではありません。ナタンに責められたときにダビデは言い訳をしなかった。素直に罪を告白し、神さまにもう一度浄めてもらったのです。

神さまはわたしの罪にもかかわらず、わたしを使われるのです。ダビデは死に値する罪を犯しました。しかし神さまは引き続き王として立たせ、メシアの先祖として用いられたのです。

このことから罪を告白することは大事なことがわかります。罪を告白することにより、罪の世界に留まらなくなります。

宣教師は世界各地に行きます。街角には美しい娼婦がわたしたちを誘います。ホテルに着けば、容易にインターネットからポルノにアクセスできます。それゆえ、大胆に祈ってもらうことが必要です。「わたしのために祈って下さい」「罪に陥らないように祈って下さい」と訴えるのです。

宣教団体に問題なのは宣教に忙し過ぎて祈りの時間を持てないことです。あまりに仕事をし過ぎることは危険です。

キーポイントは自由時間があるとわたしは思います。わたしの場合、1年に10日間は釣りに集中する時を設けます。宣教活動に疲れたときは、その1年1回の神さまからのご褒美を目指して頑張るのです。精神的に新しくリフレッシュさせるために何か夢中になれることを探してください。

夫婦関係にも危機があります。頭に浮かぶ考えを止めることはできませんが、行動は止めることができます。危機的な状況に入ったときは、まずは忍耐、次に忍耐、最後に忍耐です。互いに認識しあう時を持つことが大事です。

他の異性と長時間交渉を持たないことも必要です。わたしたちはみな弱いのです。サポートを必要としている存在なのです。そのことをまず認識することです。

イエスは全ての罪を赦すために来られたのです。神は再び立ち上がらせて下さるでしょう。

あなたがもし今日、罪を犯して隠していることがあるのなら誰でも信頼できる人に告白して罪の清めをもらいましょう。

このような内容でした~

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主の御心を受けいれる~8/3聖会(第1回)

今日は日曜礼拝。Karuizawa Union Church では今日から1週間、Summer Conference で、今日はその初日です。

20080803 メッセンジャーは、the German Alliance Mission Asian Director として活躍されている Dave Rose 先生でした。わたしたちは10回の講義のうち、3回を聞くことになります。

宣教師のためのメッセージのため、リーダーとしての心得、励ましなどがメインとなりますが、信徒のわたしたちにも生活に適応できる非常に興味深い内容です。

第1回目のテーマは主の御心を受けいれる。聖句は第2コリント12章から。

だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(2コリント12:10)

パウロは熱心なパリサイ派としてクリスチャンを迫害していましたが、ある時光が彼を覆い3日間、何も見えない状態となりました。その時イエスに出会い、イエスを伝道する者へと変えられました。パウロは、聖書知識、教育もあり、伝道も熱心ですばらしいリーダーであるが、彼には肉体的なとげが与えられていました。はっきりとは記されてはいませんが、目の病気だろうとの説もあります。

わたしたちは信仰生活をして、いろいろな願い事をします。すぐに聞いてくださるときもあれば、時間を経て聞いてくださるときもあります。時には No! のときもあり、願いとは全く反対の事態となるときもあります。神さまは必ずしもすべての願い事を聞いてくださるわけではありません。

このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。(2コリント12:9、10)

願いを聞いてくださって感謝することも証しとなりますが、ここで重要なことは聞いてくださらなかった時にパウロがどういう反応をしたかということです。

スリランカで起きた津波の災害で家、家族、友人を失いやつれた顔をした現地の方々を目の当たりにしました。すべてを失った人に何かできたでしょうか。わたしの答えは I have nothing to do for the people. 自分の無力さを目の当たりにしました。他にも宣教の地でたびたび、自分の無力さを感じたものでした。

もし、あなたが強いリーダーであると思っているのであれば、実際は弱いリーダーです。それは、強いと口で告白することは簡単ですが、自分は”無力、弱い”と告白することはプライドもあってか、なかなか言えるものではありません。

もし、自他共に認める指導力があり、強いと自信があるのであれば、他の人々から”その人”が賞賛されて、いったい誰がその人の中心にいるのか考えられなくなるのではないでしょうか。自分自身の誇りは長続きしないのです。

新約聖書でイエスは自らを低くし、わたしたちに弱さを見せられました。人々は彼が神であるのであれば、十字架にかけられてもなんらかの方法で天使が助けてくれ、奇跡が起こるものだと期待をしていました。そのとき、イエスは何と言いましたか?「主よ、彼らをお許しください」。そして、息をひきとられました。その時は敗北のように見えましたが、3日後に奇跡が起こりました。

I can do all through Christ! (主にあって私は何でもすることができる!)わたしたちは完全に弱くなったとき、自分の無力さをさらけだしたとき、主は道を開いてくださいます。完全に主の前に降伏したのならば、たとえ祈りが願い通りにならなくとも「主の御心であれば」と告白することができ、平安な気持ちとなるのです。そして、願いを直接聞かれなくとも、間接的に聞かれることもあります。

わたしたちは、自分の無力さを告白し、主の大いなる御業に期待していきましょう。

このような内容でした~

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2008年7月27日 (日)

暗闇から光~7/27日曜礼拝

20080727w 今日は日曜礼拝。メッセージは東名古屋キリスト教会小池冨雄先生が取り次がれました。テーマは暗闇から光へでした。聖句はエペソ5章から。

あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。(エペ5:8前)

クリスチャンになる前と後を考えてください。時々キリストに出会うことがなかったなら、自分の人生はどのようになっているかと考えると、恐ろしくなることがあります。

パウロがこの手紙を書いたのは、今はトルコにあるエペソの町の人たちに対してでした。エペソの町では宗教が性的なことと結びついていて神殿には娼婦や男娼がいて、姦淫を犯していました。人々は神殿で行われることだから正しいことだと信じてそこで姦淫をおこなっていたのです。それは子どもが増し加わり、国が栄える行為だから正当化もされていました。人々は豊穣の神のもとで大いなる不品行を繰り返していたのです。

性道徳が宗教によって破壊されていたのです。宗教が不道徳と結びついて売春が横行していたのです。パウロはそのことが偶像礼拝だといっているのです。

光の子らしく歩きなさい(エペ5:8後)

太陽の光が木々植物に実を結ばせるように、義の太陽であるイエスさまに触れられると多くの実を結ぶようになります。

光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである(エペ5:9)

光の実とは、善意、正義、真実です。善意とは報酬を求めないこと、正義とは神の国を望み見て正しく全く歩むことです。善意とは誠実であり、信頼されることです。

このような光はイエスさまの光があなたに当てられ、反射しているから輝くのです。

わたしたちは光を見ているだけでなく、何よりもその中に入っていくことが大事です。その経験を通してわたしたちは一生忘れることのできない世界を体験できるのです。聖書の御言葉を自分がまずしてみることです。

光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。明らかにされたものは皆、光となるのである。(エペ5:13~14)

わたしたちはイエスさまの光にさらされるとき、罪を告白しないではおられません。わたしの教会のある姉妹は、2,3年の間、不倫関係にあったことを告白しました。またある兄弟は憎しみの塊があることを告白しました。彼らは告白して晴れやかになりました。それは光にさらされ、赦された実感を得たからです。

このような内容でした~

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2008年7月20日 (日)

麻布を着る~7/20日曜礼拝

今日は日曜礼拝。メッセージは主任宣教師が取り次がれました。テーマは麻布を着る。聖句は黙示録19章からでした。

黙示録は難解ですが、すべての目的はイエス・キリストとその教会に向かっています。

小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである。(黙19:7~8)

わたしたちが義とされるのは、決して行いによるのではありませんが、クリスチャンは成長することによって実を結ぶ者となります。

麻布とは、高価なシルクのような繊維です。わたしたちはみな天国へ行きますが、この地上での行いは神さまに正当に評価される時が来るのです。決して何をしても同じ結果が与えられるのではありません。

わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。(イザ58:6~7)

わたしの母方の祖母は、スウェーデンからの移民で英語も下手でしたが、日曜学校の先生も積極的に務めていました。言葉に不自由はありましたが、料理が得意でしたので、よく人をもてなしていました。

わたしが祖母の家を訪れるといつも知らない人が食事をしていました。教会で寂しそうな人や貧しい人がいると家に招き入れていたのです。その数は何百人といました。

彼女の告別式には5~600人が列席し、一人ひとりが祖母が招いてくれたお陰で救われた証しをしていました。

実はわたしの父母が結婚したのもこの祖母が父を家に招いたことが発端になりました。彼女の信仰からこの教会も始まっているのです。

わたしたちも麻布の衣をイエスさまからいただけるように励みましょう。

このような内容でした~

礼拝後、地域の防災活動の取り組みについての話し合いの場が持たれましたので、出席しました。

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2008年7月13日 (日)

世界を支配される神~7/13日曜礼拝

今日は日曜礼拝。メッセージはアジアアウトリーチ吉田隆先生が取り次がれました。テーマは世界を支配される神でした。聖句は詩篇は102篇

20080713 今日はひとつのことだけは覚えてください。それは主は天の御座におられるということです。主はすべての歴史をコントロールしておられるということです。

最近、アジアで多くの天災が続きました。ミャンマーのサイクロン、四川大地震です。ここで多くの人たちが犠牲になり、今もしかばねをさらしたままでいます。

神さまがおられるのならどうしてこのようなことが起きるのか?

わたしたちは未信者からしばしばそのように非難されます。またわたしたちクリスチャンの間でもそのような疑問があるのです。

わたしのよわいは夕暮の日影のようです。わたしは草のようにしおれました。(詩102:11)

この詩篇の作者も自分の目の前の現実に倒れそうになりました。

しかし主よ、あなたはとこしえにみくらに座し、そのみ名はよろず代に及びます。(詩102:11)

ところが彼はそれで終わりませんでした。彼は世界を動かされている神、歴史を支配しておられる神を見上げました。

中国とインドは経済的にも霊的にも無視できない国になっています。

中国には3つの教会があります。ひとつは愛国教会。共産政府の傘下にある教会です。

ふたつめは地下教会家の教会とも呼ばれます。これは政府からの迫害を避けて個人の家や地下の洞窟を利用して集会がもたれているものです。彼らの伝道はシンプルです。村々へ出かけていき、重篤な病人のいる家に行き、イエスの御名によって癒すというものです。

3つめは第3の教会といわれる群れです。これは非公認という意味では第2の教会と同様ですが、第2の教会が農村、漁村といった教育のない人たちの群れなのに対して、この集団はプロフェッショナルなインテリ、専門家、医者などです。

わたしがこの第3の教会の人たちと交わりの時を持ちましたが、プロジェクターを使ってパワーポイントで説明するのです。

ただこの群れは孤立したセルグループの集まりなので、互いにネットワーク化して、正しく導くならば大変な力になるのではと感じています。

中国で1949年に文化革命が起き、宣教師は国外に追放され、群れのリーダーは強制収容所に連れて行かれました。毛沢東の改革の後を継いだのが江青女史をリーダーとしたいわゆる4人組でした。

江青女史は海外の記者から「中国にキリスト教会はありますか」と質問された時、鼻で笑って「教会ですか?それは博物館に行けばあります」と答えました。

今、中国人が「江青女史の残したものはありますか?」と聞かれたら「江青女史ですか?それは昔の人ですね。彼女が残したものは博物館に行けばあります」と答えます。

一時は敗北したように見えた教会。その時、多くの人が「神は死んだ」と感じたでしょう。しかし、「主は天の御座におられる」のです!彼は歴史を完全に支配しておられるのです。

あきらめないで、求め続けましょう。

このような内容でした~

20080713y メッセージの前に吉田先生ご夫妻が賛美とフルート演奏の時を持たれました。プロ並みの演奏でした~

礼拝後、特別愛餐会がありました。今日はドライカレー。野菜サラダ。

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2008年7月 6日 (日)

7つの成長のカギ~7/6日曜礼拝

今日は日曜礼拝。メッセージは主任宣教師が取り次がれました。聖句は第2ペテロ1章から。テーマは7つの成長のカギについてでした。

最近、CNNで6年間監禁されていたコロンビアの大統領候補が解放されたニュースを見ました。すべて状況がビデオカメラに収められていたので、臨場感溢れて見ることができました。

どのように解放されたかいうと、政府のスパイがゲリラに潜入して3年間仲間のようにして働き、満を持して大統領候補を別な地点に移送させると偽ってヘリコプターに乗り込ませたものです。

ヘリコプターの中で、実は政府のスパイであることを告げ、「あなたはもはや自由だ」と宣言すると、彼とその仲間がヘリコプターが揺れるばかりに飛び上がって小躍りして喜んでいる様子が放映されていました。

みなさんも既にイエス・キリストによって罪から解放されているのですが、この大統領候補者のように飛び上がって小躍りして喜んでいるでしょうか?

今日は7つの成長のカギについてお話ししたいと思います。

それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え(2ペテロ1:5)

ひとつめは信仰です。信仰とは神さまに自分の人生を委ねることです。みなさんは今朝、椅子に腰掛けるとき「この椅子は私の体重を支えられるだろうか」と心配しながら座ったでしょうか?恐らく誰もいないと思います。それと同じように主に全く信頼するとき、人生に恐れがなくなります。

ここでは「力の限りをつくして」とあります。クリスチャンは信仰だけあれば努力など必要ないという人がいます。

恵みと訳されている英語は、grace ですが、これは、God's riches at Christ's Expenses (キリストの代価の支払いによる神の富)の頭文字だと言われています。

ナルニア国物語の映画の中で、ビーバーがイエスの型であるアスランを指して、He is not safe, but he is good! と叫ぶシーンが出てきます。キリストにならって良いことをするには努力をする必要があるのです。

徳に知識を(2ペテロ1:5)

2つめは知識です。日々聖書を読むことも努力が必要です。神さまがどういうお方が学んでいく。これなくして福音信仰はあり得ません。

知識に節制を(2ペテロ1:6)

3つめは節制です。英語では、self-control です。

節制に忍耐を(2ペテロ1:6)

4つめは忍耐です。

忍耐に信心を(2ペテロ1:6)

5つめは信心です。

信心に兄弟愛を(2ペテロ1:7)

6つめは兄弟愛です。英語では、brotherly kindness、ギリシャ語では、ψιλεω(フィレオー)です。

兄弟愛に愛を加えなさい。(2ペテロ1:7)

7つめは愛です。ギリシャ語では、αγαπη(アガペー)です。わたしたちのクリスチャンの最終的な目的は愛の人に変えられることです。

このような内容でした~

20080706 礼拝後、愛餐会がありましたので、参加しました。今日は冷やしうどん。トッピングは10種類ほどからの選択です。わたしは梅ペースト、シソ、海苔、キュウリ、卵焼き、大根おろし、トマトなどをトッピングしました。

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